公益社団法人
日本産科婦人科学会
理事長木村 正
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公益社団法人
日本産科婦人科学会
理事長木村 正
ご挨拶~昔話にちょっとお付き合いください~
日本産科婦人科学会理事長の木村 正です。
このコーナーは医学生の皆さんや初期研修医の皆さんに産婦人科の魅力をお伝えするべく、日本産科婦人科学会産婦人科未来委員会内の若手委員会の皆さんが一生懸命作ってくれたものです。日本産科婦人科学会は若手を大切にして、若手の先生方の意見をとりいれるために若手委員会を組織しています。現在、小野寺委員長の下、全国から20人の若手委員が集まり、産婦人科の将来のために熱い議論を行い、様々なプロジェクトを展開してくれており、頼もしい限りです。
さて、私は1985年卒業ですから今年で丸35年産婦人科医をやっていることになります。ずいぶん長い時間が経ったものです。学生時代のことを思い出すと、産婦人科の講義はわかりませんでした。内分泌で語ることができる生殖医学には理解しやすいストーリーがありましたが、他の分野はほとんど「こういうことが起こったときは、こういう診断で、こうする。」という記載がほとんどで、「なぜ」についての記述はほとんどなかったように思います。
私が産婦人科を選んだ理由は当時の産科病棟実習で出産を見て、ベビー室のガラス越しにならんでいる赤ちゃん(当時はプライバシーの概念などなく、ガラス越しに赤ちゃんがたくさん寝ていた)を笑顔で見ている顔色の悪い他科の癌患者さんをみて、母親が赤ちゃんと共に退院するときに先輩医師がかける「退院おめでとう!」の声が、本当のおめでとうだな、と思えたからだと思います。この病棟は希望の病棟でした。そして、私も希望を支える一員になりたい、と思い産婦人科医になりました。
産婦人科医になってみると、やはり「なぜ」の連続でした。なぜ、今日がこの子の誕生日なんだろう?なぜ、こんなに早く生まれてしまったんだろう?なぜ子宮頸がんは性交経験が多い人に多いのだろう?なぜ、精子が元気にたくさんあって、排卵していて卵管も通っているのに妊娠しないんだろう????産科・生殖医療・婦人科すべての領域を経験しました。臍帯脱出で先輩が児頭を押し上げながら、「1分で出せ!」と叫ぶ中で帝王切開をして、赤ちゃんが元気に泣いた時、「この子の70年を救えた。」と思いました。体外受精が一般的ではない時代に排卵誘発と人工授精で産まれた赤ちゃんを抱いて帰られた女性からお子さんはもう就職した、と年賀状をいただきます。婚約してすぐに子宮頸がんで子宮を失うことになった女性の涙は忘れられません。いい事ばかりではなく、この分野ならではのさまざまな人生のドラマを見せてもらいました。研究も、陣痛はなぜ起こるの?という根本的な問題に首を突っ込み、世界の最先端を相手に競争できた10年ぐらいは夢の様でした。
日本の産婦人科医はこれまでスーパー(ウー)マンのような働き方をしてきました。その分、私が世界各地で見てきたどの国の産婦人科医よりも何でもできる集団です。しかし、これから働き方改革が進むと産婦人科医の働き方もやがて国際標準化されて行きます。学会もその実現に向けて全力で取り組んでいます。また、昔は訴訟リスクが高い、と言われていましたが、先人の努力により今は普通のレベルです。
日本産科婦人科学会
産婦人科未来委員会 委員長
福井大学、
学術研究院医学系部門、
産科婦人科教授
吉田 好雄
皆さま、こんにちは、三代目日本産科婦人科学会 産婦人科未来委員会委員長を、令和3年度から拝命している福井大学医学部産科婦人科の吉田好雄(よしだ よしお)と申します。この度は産婦人科学に興味を持っていただき、「産婦人科の扉」のホームページにアクセスしていただき感謝申し上げます。
まず、私の実体験から、皆様が「産婦人科の扉」を開けて中に入るのをお誘いしようと思います。
分娩室に入ると、いくつになっても「なんともいえない気持ち」になります。それは「聖なる領域」に足を一歩踏み込んだ感覚のようです。「緊張」「不安」そして「ドキドキ」が入り混じった気持ちです。
医学部学生の時は、結構真面目に授業に出席していました。当時医学生の臨床実習は五年生から始まります。全科をまわるこの実習期間で、将来に進む診療科を決めます。産婦人科で実習しているとき、本当に幸運なことに、分娩を見学させていただく機会を得れました。他科と異なる、まったく異次元の感覚に浸った分娩見学の様子は、今でも昨日のように思い出されます。患者さんに同意していただき、我々医学生4人グループは横一列になり結構奥の方で、その瞬間を、微動もせずに見守りました。分娩室の産婦さんの息遣い、モニターの音、先生方の緊張感やかけ声、娩出までの緊張感が、生まれた子の「泣き声」で一変します。「おめでとう」の声に反応して、患者さんが泣き出すと、私たちも、もらい泣きしそうになったのを、30年以上たった今も覚えています。産婦人科医になり、関連病院の滋賀の病院で、明け方、分娩後官舎に戻る道すがら、琵琶湖から昇る朝日を見て「なんかやりきったな」と、「すがすがしく」実感したのを、肌感覚でも覚えています。この道に進んでよかったと再認識したものです。今は、長期間患者さんに寄り添う期間が多い「婦人科がん」を専門にしています。本当に、人の一生のそれぞれの「ライフステージ」にかかわることができる「幅の広い」「奥の深い」診療科で医者人生をやれて満足しています。
基本、人間の誕生に携われる「おめでたい」「感動を実感できる」診療科です。明るい雰囲気の診療科です。すべての「ライフステージ」にかかわれる診療科です。医療訴訟に対してもどの科よりいち早く対応し、訴訟件数を激減させることに成功した診療科です。また最近は、医師の働き方に最も早くから取り組み「皆が働きやすい」環境を作れる診療科です。医療に携わると「不幸な事」も生じます、その時は皆で支えあう事が普通にできる診療科です。
是非、多くの先生方が私たちと共に「感動の多い」産科婦人科という診療科で働いてほしいと思います。是非よろしくお願いします。